伯耆国分寺跡(倉吉市)概要: 伯耆国分寺の創建年は不詳ですが天平13年(741)に聖武天皇によって国分寺建立の詔が出され建立された全国68ヶ寺の1つとされます。記録では天平勝宝8年(756)に仏具などが朝廷から賜っている事から少なくともこれ以前に境内や堂宇の整備が終えていたと思われます。
寺域は、東西181.9メートル(600尺)、南北160メートル(528尺)、2.9ヘクタール、四周は土塁と溝が廻り、内部には金堂(本尊を安置する寺院の中心施設)や講堂(僧侶が仏法や法会を行う施設)、塔、回廊、中門、僧坊などの施設が設けられました。国分寺は天暦2年(948)に火災により焼失しその後再建されませんでしたが、元禄6年(1693)に跡地から北東500mに曹洞宗の護国山伯耆国分寺として再興しています。
境内からは火災で焼失したとの記録を裏付けるように焦土の堆積が発見され、その他にも軒丸瓦や軒平瓦、土師器、須恵器、風鐸、錫杖頭などの遺物が発見されています。周囲には伯耆国庁跡や官衛又は国分尼寺と推定される法華寺畑遺跡、不入岡遺跡、国庁裏神社などがあり古代伯耆国の中心として繁栄しました。伯耆国分寺跡は昭和49年(1974)に国史跡に指定され、現在は伯耆国分寺史跡公園として整備されています。
伯耆国分寺跡:上空画像
|