智頭町(歴史)概要: 智頭町は鳥取県内でも最も早く開けていた地域で、智頭枕田遺跡では鳥取県最大規模縄文時代の遺跡が発見されており、西日本でも最大級とされています。西日本で規模の大きい縄文遺跡は極めて珍しく大量の遺物には日本海側と瀬戸内海側両方の特徴が見られる事からかなり広範囲で交易や交流が行われていたと推定されています。又、智頭枕田遺跡は縄文時代から平安時代までの複合遺跡としても知られ、生活の跡だけでなく郡衙(古代の役所)跡と思われる遺跡も発見されており周辺の中心的な機能を有していあたのかも知れません(現在、智頭枕田遺跡は破壊されています)。
平安時代初期に編纂された日本後紀では大同3年(808)に智頭郡の道俣駅に馬が2匹配置されていた事が記されていることから当時から交通の要衝だったと思われます。平安時代中期に編纂された和名抄では智頭郡が美成郷、佐治郷、土師郷、日部郷、三田郷の5郷で構成されている事が記されていて智頭町に当たる三田郷では智頭郡の政治、行政の中心である郡家が設置されていました。
江戸時代に入ると智頭往来(因幡街道)の宿場町(智頭宿)として整備され、鳥取藩主池田家が参勤交代で宿泊で利用する本陣が置かれ、行政的にも当地域の中心的な存在で奉行所や制札場ば設置されました。又、備前街道と智頭往来が交差する交通の要衝だった為物資の集積場として経済的にも発展し多くの商人が集まり、鳥取県最大の宿場町となりました。現在でも当時の町並みが残されおり石谷家住宅や塩屋出店などの古建築が点在しています。
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